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すずめの戸締まり先行上映ネタバレ感想  - 新海監督はブルアカのPVを作れ


※あまり気分のいい感想ではないので、読まない方がいいかも

 


新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』、先行上映に当選したから鑑賞してきた。

 

予告編の雰囲気や色使いから『星を追う子ども』を連想しやすく、話が退屈で虚無だったアレの二の鉄は踏んでほしくないと身構えていたのだけど、まさか全然違う方向で問題作になるとは思ってもみなかった。

 

事前情報では、

 

鬼怒川温泉のような忘れられた廃墟に残る、かつてそこで暮らしていた人たちの想い」を戸締まりして回る、

 

みたいな作品であると公言されていて、確かに映画の前半はそういう趣もあったかもしれないけど、

 

まさかその切り口で描かれる作品の核が「東日本大震災で被災した地域の、災害で亡くなった人たち」のことだとは想像できないじゃん。

 

廃墟を訪れて、残留思念と同調して封印する。

 

旅館とかスナックとか遊園地とか商店街とか、日本各地の失われてゆく風景をノスタルジックに旅した末に、失われてゆく風景の象徴として「復興されて災害の跡が消えた被災地」が出てくる。

 

この映画で、忘れられたものの代表というのが、東日本大震災なのだ。

 

あくまで個人的な受け取り方だけど、監督がこう言ってるみたいだった。

 


東日本大震災から10年以上経って、みんなそろそろ被災したこと忘れちゃったでしょ。たまには思い出しなよ」

 

 

 

 

 

 

 

忘れてるのはお前だけだよ!

 

 


そもそも作品としては破綻していて、すずめは廃墟に現れる扉を締めて回るけど、その対比として描かれる現在を生きる人間の営みの描写が90年代なんだよね。

 

2020年代どころか2010年以降がこの映画には無い。やってることは芸能人がヒッチハイクしたり旅先でお宅に泊めてもらう、90年代の夜7~8時にやってたテレビ番組そのまんま。神木くんは昔のアイドルの曲を流しまくる。

 

現代の話をしていないんだから、ノスタルジーの描写に価値を与えられていない。

 

戸締まりの方法も、そもそも作中でルールを説明していないんだから、扉押さえてるだけのシーンに緊迫感は生まれないでしょう。どうなったらピンチでヤバいのか分からないんだから。

 

これがジブリなら忖度なしに最初に戸締まりをミスって島に地震が起こるのをアニメーションで描けたでしょ、この作品はおそらくカットしたんだろうけど、そこから逃げてて、戸締まりできなかったら起こることのヤバさに説得力を持たせられてない。

 

本筋がとっ散らかってるのに、その上おばさんとすずめの関係とか、アッシー君(90年代的表現)でしかないCV神木の男とか出してる余裕なかったでしょ。何の狙いがあってオバさんキレさせたの?あんなの明らかに説明してないすずめが悪いんだから、言ったら負けじゃん。

 

 

物語の問題は語り尽くせないほどあるんだけど、

 

俺は東日本大震災が起こった当時のことをはっきりと覚えているよ。

 

毎日のようにテレビで被災地に津波が押し寄せてくる映像を見ていたから、今でも目に焼き付いているよ。

 

瓦礫の山を少しずつ片付けて新しくしていったのを、ずっと見てきたよ。放射線のせいで東北の食べ物が売れなくなっていたのも、そんなに前のことじゃないでしょ。

 

最近で言うなら、コロナに感染して亡くなった人たちは大勢いるでしょう。あれからずっと、今でも、苦しんでいる人たちは世の中にたくさんいるでしょう。

 

 

なのに、新海監督は言うんだよ。

 

 

「そろそろ東日本大震災で被災したこと忘れちゃったでしょ。たまには思い出しなよ」

 


まだ完全には立ち直っていない、人が大勢亡くなった10年前くらいの大災害を、あまりにも当事者意識に欠けた形で押し付けてくるんだよね、この作品。

 

ちょっと洒落にならないくらいのヤバい映画だなと思った。

 

そもそも、こんなコロナ禍とかいう異常な状況で活動してるピンのクリエイターは、コロナ禍でも動じないくらい図太くて無神経な性格か、壊れたまま走らざるを得なかった人間かのどっちかだと思っていて、そりゃあ駄作や問題作もある程度は受け入れるけど、これは新海監督壊れてるなと感じてしまった。

 

作品の質感が、俺が東日本大震災当時に書いててメンタルグシャグシャになって締切に間に合わせるために何とか形にだけはしたモノの、あのおぞましさにそっくりだった。

 


だから新海監督は一回、『ブルーアーカイブ』のPVを作って気分転換してくれ。

 

現実の暗いことや苦しいことのない透き通った世界でリフレッシュしてくれ。

 

いいか、『ブルーアーカイブ』のPVを作るんだ。

 

 

『ELDEN RING』とかいう最高のオープンワールド

このゲーム難しすぎじゃない?

 

これがもし初めてのソウルシリーズだったらと思うとぞっとするくらい序盤から敵が容赦ないんだけど。

 

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オープンワールドって、だだっ広いフィールドの途中にポツポツと「何か」が配置してあるのが基本のつくり。『DYING LIGHT2』ならダークゾーンとか、『Horizon Forbbiden West』なら機械獣の生息地。敵の基地、セーブポイント、貴重品の眠るダンジョン、などなど。

 

マップを移動して、そこにある「何か」で遊んで、また移動して、時々スキルや装備を強化して~、と。前にオープンワールドは全体マップを埋める作業って書いたけど、実際に作業になりがちだ。例えば、敵の拠点は何個もあるのに全部同じような構造でどれも同じ種類の雑魚の使い回しだったりすると、代わり映えしない退屈なゲームプレイになるだろう。

 

そうならないように、敵の拠点は凝ったパズルのようにするとか、ドロップ品にランダム性があるハクスラ要素で退屈なゲームプレイに射幸心のスパイスを加えるとか、工夫の仕方は各タイトル様々だ。

 

要するに、いいオープンワールドって単調になりすぎないオープンワールドだよね、っていう話で。未だ見ぬ地平を開拓して、その先で新しい刺激がずっと続いていくなら最高じゃない。…ここについて書き続けると、縦にも広がる濃密なマップ構成で、ジャンプを悪用すれば簡単に遠出できて、ハイレベルな敵がそこら中をうろついててワクワクできた『ゼノブレイドクロス』の話になってしまう。

 

xenobladex.jp

 

『ELDEN RING』はぶっちゃけ、プレイした感覚はほぼ『ダークソウル』と言っていいんじゃないか。リニアなステージクリア型か、壁がなくて空間が開けてるか、くらいの違いだ。タイトルが『ダークソウル4』でも、あんま変わらんと思う。ただ、プレイヤー側も『ELDEN RING』っていう新規IPを望んでいたというより、完全新作の『ダークソウル』がやりたかったんじゃないの。少なくとも自分はそう。

 

で、ほぼ『ダークソウル』だから、移動した先のゲームプレイに常に刺激があるのだ。アイテムを拾おうとしたらグロい外見の巨人に追いかけられるし、小さい洞窟を見つけて入ったら天井からガーゴイルが降ってきてボコボコにされる。新しいマップはいつだって死と隣合わせの緊張感にあふれている。

 

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おかげで、ここを進んだら何があるんだろうと考えながらフィールドを移動しているだけで、既に楽しい。レベルを上げすぎると前のマップが簡単になってしまうから、できるだけ適性より少し下くらいの能力で、この開けた空間を端から端まで遊んで回りたい。でも毒沼はカンベンな!!

 

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ところで、ほんとにこのゲーム難しくない??

 

ソウルシリーズはずっと上質ビルドで通していて、魔法なんか使ったことのない脳筋プレイをひたすら続けている。ボス戦も霊体NPCを召喚するのはストーリー重視で遊ぶ時くらいで、基本は攻撃をだいたい見切るまでタイマンする。

 

…のだけど、あんまり探索せずに辿り着いてしまったマルギット戦で、いきなりNPC霊体と使い魔みたいのを召喚するやつの助けを借りてしまった。倒せたけど…あのハンマー取り出してからの五連撃、どうやって回避するんだ…? 不完全燃焼でモヤっとするから次の周で待ってろよ。回避の仕方全然わからないけど。

 

最高に楽しい。

 

 

【エルデンリング 序盤ボス ネタバレ注意】

攻略覚え書き

・飛んだら1回攻撃、高く飛んだら2回

・攻撃後は踏みつけ対策で早めに下がる。咆哮は初段ガードキャンセル最速後ロリ

・爪2段は捨てる

・踏みつけ→左右切り払いの3連撃は、初段を下がりで回避→2段目スカ時は3段目に前ロリ、2段目ガード時はキャンセル後ロリ。常に3段目が当たらないように距離を調節する

・(2回目の被弾は、左へのローリングが引っかかって位置取りの想定が狂う→背後に障害物があるかもしれないから一端左に避ける→十分に下がれなかったせいで後ロリしても連撃の間合いから逃げられない、の流れ)

 

『DYING LIGHT2』は青春の味

 

まだ「オープンワールド」というジャンルが定着していなかった頃、プレイステーション3で『アサシンクリード2』を夢中になって遊び倒した。

 

初代『アサシンクリード』も革新的な物語性や、通行人に肩をぶつけた挙動などに見られるリアルさが新鮮でクリアまで熱中したものだけど、続編の2でイタリアの大都市を丸ごと駆け回ったあのビデオゲームならざる開放感は人生で唯一無二の体験だった。

 

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今では舞台が変わってもゲームのやることは大して変わらないという意味で「ハンコオープンワールド」と呼んでいるアサクリだけど、何もかもが新しく見えていた時期っていうのももちろんあったのだ。


『DYING LIGHT2』の話なのにアサクリの話をしているのは、両方ともオープンワールドのジャンルにパルクールアクションを取り入れているタイトルだからだ。

 

『アサクリ2』を夜通しプレイした翌日、家の外に出てひしめくようにそびえる都会のビル群を見上げると、自然と外壁やベランダの突起が目に留まってしまう。「そこのマンションの屋上まで登るには、まずどこを掴んでどういうルートを通ればいいのか」を建物を見た瞬間に、自動的に探してしまうのだ。

 

 

『DYING LIGHT2』を遊んでいて、かなり久し振りにリアルで建物の突起を探してしまう現象に襲われて、ゲームと現実を混同する中二心のほろ苦さを思い出したっていうお話。あまりにも自然に昔と同じ動作をしてしまったのでびっくりした。あんまり真剣にはやっていないつもりだったけど、思いのほか熱中していたらしい。

 

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『Horizon fobbiden West』が発売するまでの繋ぎのつもりで始めたけど、ゾンビがいるから地面を歩かないゲームだし、戦闘は近接武器が主体だし、射撃主体『Horizon』とは被らないからいい感じに遊べている良い。マップの作り込みが丁寧でマップを探索しているぶんにはずっと楽しい時間が続く。

 

スキルを覚えてきて、ノンストップで目的地まで走り切るのが楽しいゲームになってきた。気分はゾンビ世界のマグロ。滑空は『原神』でもやってる、こっちにも刻晴のスキルを実装してください。

 

『DYING LIGHT2』は実家の味噌汁の味


出来のいいオープンワールドは密度が高い。

 

だいたいオープンワールドといえば、マップ上にびっしり表示された「?」マークを順番に回って消していくものだ。ゲームが面白いかどうかは、その「?」マーク巡りの中でどれくらい楽しい体験を提供してくれるかだと思っている。

 

GTA』は車の運転がやけに難しいから面白い。『Cyperpunk 2077』はマップが作り込まれているから、景色が切り替わるのを見ているだけで面白い(もちろん車の運転も難しい)。『Fallout』はあれで意外とマップが狭くて、歩けばすぐに次のロケーションに到達する。

 

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で、『DYING LIGHT』は目的地が遠い。

 

パルクールのアクション性を取り入れたゾンビもの。地上にはゾンビがうようよしてるから、建物の屋根を跳び回って移動するのがセオリー。が、全ての屋根がつながっているわけではない。地上に降りたくても下にはゾンビがいるし、落下ダメージがしっかりあるし、道路が封鎖されていたり障害物があちこち置かれていたり、真っ直ぐスムーズには移動できない。

 

時には回り道のようなルートで屋根を移動することになり、その途中で予定とは違う方角に「?」マークを見つけることが多い。じゃあせっかくだし「?」行くか~と寄り道してゾンビどもを撃退した後に、改めてマップで現在位置を確認すると、当初の目的地から大きく離れた場所に突っ立っていることも、割と多い。たった直線距離300メートルが、まあ遠いゲームなのだ。

 

移動するにも、屋根から屋根へ、壁の突起を掴んでのぼったり、街灯の上を跳び移ったりする。足場になるオブジェクトの確認だったり、スタミナゲージの管理だったり、ジャンプの微調整だったり、やることが結構ある。

 

そういう「移動」の面白さに高低差の工夫を凝らしたうえで、「いつものオープンワールド」の味付けもしっかりしているのが『DYING LIGHT2』だ。いつものオープンワールドっていうのは悪いことじゃない。物資を回収して、アイテムをクラフトして、プレイヤーキャラを強化していくのは手応えのある成功体験の積み重ねだ。『Horizon Zero Dawn』もぶっちゃけグラフィックが綺麗でゾイドみたいな敵が出てくるいつものオープンワールドだし。

 

ビビッとくる独創性はないんだけど、プレイしてると安心するタイプの、普通に楽しいゲーム。久しぶりに『Fallout』タイプのロックピックをやってると、実家の薄味の味噌汁をすすっているような、落ち着いてて安らかな気持ちになれる。ピョンピョンと移動して、ゾンビや野盗と戦いながら物資を獲得して、アイテムを作ったりスキルツリーを強化して、マップを埋める。

 

オープンワールドは癒やしだよ。

 

…こういうこと考えてると、だら~っとした会話だけの時間を抒情的な雰囲気づくりで心地よいものにした『DAYS GONE』は唯一無二のいいゲームだったな、ただし終盤以外はな、って改めて思ったりする。

 

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PS5で遊んでいると画面がチカチカ暗転するけど、この程度を気にしていたらKindle Paperwhite電子書籍は読めません。

 

『原神』はじめました その1

「シナリオがいい」っていう文句と一緒に流れてくるゲームは、どれも一回は触ってみたいと思っていて。『原神』を始めた理由は、FF14が抜けた後のRPG欲の空隙を持て余していたのと、甘雨が復刻されるっていう噂を聞いて、ちょうどタイミングが噛み合ったからだ。

 

さいわい、獣道っていう長時間番組が年末に控えていたこともあり、星5キャラを引くまで粘ることができた。女性キャラだと七七で妥協するか迷ったけど、妥協せずに刻晴を狙ったのは結果的にとても良いことだった。

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サービス当初に『原神』を続けなかった理由はゼルダのクローンだったからなんだけど、今こうやって『原神』を楽しく遊べている理由もまた、ゼルダのクローンだからだ。

 

オープンワールドっていうジャンルが大好きで、これまでに何本も遊んでいるけど、『ゼルダBotW』も含めて従来の買い切り型オープンワールドって、マップ上に表示される様々なアイコンの場所に行ってイベントをこなしていく…最初に用意された膨大な数のコンテンツを一個ずつ消していって、終わらせる。クリアに向けて畳む行為だった。どんなに広大なフィールドがあっても、プラチナトロフィーを取る頃には、その世界とお別れする寂しさを噛み締めなきゃいけなかった。

 

だから、買い切り型のビッグタイトルと同等かそれ以上の広さとクオリティを持ちながらも、逆に「終わらないオープンワールド」である『原神』のプレイフィールは不思議なものだ。何ならデイリークエストでマップ上のアイコンは増えていくし、メインストーリーは普通のスピードじゃ全然進まないし、「終わりに向かう」っていう感覚とは無縁のようだ。

 

ゼルダBotW』の特徴でもあった環境音へのこだわりは、本作にも引き継がれているから、晴れた日のモンドの平原をただ走っていると、PCのモニタからアルファ波を直接浴びているような錯覚すらある。リアルでもリラックスしたい時には森の中の環境音みたいなのをYoutubeで探して流したりするが、まさにそれだ。

 

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ゼルダと比べるとアクション性や爽快感が減っているが、代わりにマップが練り込まれていて、ただファストトラベルポイントの近くを散歩しているだけで宝箱や軽い謎解きが見つかる。最初のモンドは凡庸なRPGの印象だったけど、次の璃月からは中華ファンタジーという「『原神』でしか体験できない」世界が広がっていて、マップを探索するモチベーションの尽きる気配がない。PCだからかもしれないが、ロード時間がほぼ無いのもストレスフリーで遊べる大きな要因だ。

 

…と、普段は快適に遊べているだけに、戦闘周りのストレスには、やられてるなと思う。戦闘だけはガチで退屈だ。アクション性が高い刻晴だから工夫して遊べている感があるが、他のキャラを操作していると、キャラパワー不足に伴う「敵を倒すのが遅い=退屈な戦闘が長引いてストレスが溜まる」という、見えない"圧"がある。『原神』において戦闘はさっさと終わらせるべきもので、この癒しとストレスの落差によって、プレイヤーの心が課金ガチャに向かわされているのを感じる。絶対にガチャを引くためだけの課金はしないぞと始めた決意が数日で揺らぐのだから、この人たち商売がうめえ。

 

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でも、最初に刻晴を引けたおかげでアクションもなかなか楽しめてるし、これくらいならいいかなって衣装も買ってしまった。心が荒む現代の清涼剤としてコツコツ遊んでいきたい。

 

…え、雷属性と氷属性って相性いいんですか?

 

甘雨が引けなかったら課金するかもしれない。