sai10_sanのブログ

思ったことを書くだけ

【ネタバレ】『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の話

ネタバレします。注意してください。

何も振り返らずに書き殴ったよ。

 

 

表示する

 

【泣けばいいのか笑えばいいのかわからない】

 

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の予告編が公開されたのを見てから、MCUスパイダーマンのことを「保護者シリーズ」と呼んでいた。

 

MCUのピーターは歴戦のヒーローたちと比べると年若い未熟者として描かれ、主演の『ホーム』シリーズでは、常に彼の過ちを受け止めて導く保護者が出演していた。トニー・スターク、ミステリオ、そして今回はドクター・ストレンジときて、またか、と期待半分落胆半分だったことは否めない。「どうせマルチバース関連でやらかしたストレンジと一緒にヴィラン軍団と戦うんだろう?」とまあ、ある程度映画の中身が予想できてしまったからだ。

 

ところが、そうはならなかった。海外での先行公開から一ヶ月、徹底的にネタバレ危険地帯を避けてきたため、「トビー・マグワイアアンドリュー・ガーフィールドが登場する」くらいしかネタバレを踏まなかった。それだって旧作のヴィランが登場している時点で誰だって予測できるサプライズ(笑)だし、「イエスかノー」の話でしかなく、どっちに転んでも損はないなと「ノー」の方で張っていた。

 

それがだよ、あの予告編から予想つくか? 保護者(メンター)役だと思わせたストレンジが早々と退場して、物語上で本当にトムホピーターを導く役割を担うのがトビー・マグワイアアンドリュー・ガーフィールドの二人だったってことをだ。

 

MCU以前の映画でヒロイックに描かれてきたスパイダーマン像とは、悲劇のヒーローだった。等身大の生活を送る親愛なる隣人が、大いなる力と責任を与えられ、己の人生と正義の味方であることを秤にかけた挙げ句、大事なものを失ってしまう存在として描かれてきた。

 

三人のスパイダーマンが一堂に会する本作のシーンではコミカルなジョークが飛び交うが、(MJが悪いとはいえ)青春時代を振り回されたトビーの物語と、グウェンを(予め決められた道筋をなぞるように)救えなかっただけでなくシリーズが打ち切られ悲劇から立ち直る機会を奪われたアンドリューのバックボーンを思うと、トムホピーターを見ながら自嘲的に言葉を発する旧ピーター二人の境遇は決して笑いどころで終わるものではない。

 

というか、トビーはMJビッチ化脚本の犠牲者だし、アンドリューは興行収入とかMCU合流とかの犠牲者だし、大人の事情に振り回されて不幸に見舞われた主人公という捉え方もできるのだ。彼らの悲劇について、納得いかない思いを抱いていたファンもいると思う。

 

個人的な心境だと、冒険漫画みたいな『アメイジング』シリーズが好きだっただけに、アンドリューがトムホにかける言葉の全てが激重すぎていちいち胸が痛かった。もしかしたら意訳かもしれないが、「続けろ」というニュアンスの台詞がアンドリューから出た時に涙腺が決壊した。っていうか地下のヴィラン収容所の時点で、『アメイジング2』ラストのシニスター・シックスの登場を示唆するシーンのビジュアルが重なって哀愁を覚えていた。


映画としては大成功を収めたが物語的には不遇すぎるトビーと、悲劇を乗り越えてこれからという時にシリーズを打ち切られたアンドリューと、決定的な悲劇には遭わず順風満帆にシリーズを続けているトムホ。これらの三人のスパイダーマンが一つの映画に集う、ということは、ただの夢の共演では済まされない、とんでもなく巨大な重みがあるのだ。「トビー・マグワイアアンドリュー・ガーフィールドが登場してメイおばさんが死ぬ」というシンプルな文字列では決して奪えないエモさの強度が本作には確かにあった。

 

元々『クロニクル』っていう映画が好きで、その主役だったデイン・デハーンが演じた『アメイジング2』のハリー・オズボーンが気に入っててもっと見たいキャラクターだったのだけど、そのスパイダーマン映画で切っても切れない存在である親友枠のハリーがいるのに対して、MCU親友枠のネッドが自分は敵にならないよ、ってジョークっぽく言ったシーンとかガン泣きした。

 

ただ、本作の全てを是とできない複雑な気持ちもある。前作『ファーフロムホーム』のラストでJJJが出てきてピーターが身バレした瞬間、「いつものスパイダーマンが始まった」と感じたのを覚えている。旧シリーズがコミック通りの悲劇のヒーロー像を連打してきて食傷気味だったところに、ベンおじさんの死をスキップして現れ、悲劇のヒーローではない描き方をされてきた『ホーム』シリーズは先が予測できず新鮮だったからだ。

 

それが今回、トビーとアンドリューの物語を引き継ぐなら避けて通れない道とはいえ、(おそらく当初はあっただろうベンおじさんの死をなかったことにしてまで)メイおばさん死亡の儀を経て、結局は悲劇のヒーロー像に着地してしまった。「いつものスパイダーマンが始まった」というのは喜ばしいだけではないな…と。でも、高校生編はさすがに今回で終わりだろうし、それで保護者の物語も終わるなら、次からは一体何が始まるのか楽しみではある。まあMCUのことだし、次も安直な予想は裏切ってくれるだろう。

 

総括すると、本作はかなり不意打ちのライブ感が大事な映画だなと思った。確かに三人のスパイダーマンが画面中を飛び交う迫力のアクションシーンは見応えがあるが、初見で感じた激重のエモさは二度と味わえないだろう。印象にしても、やはり旧シリーズを見た記憶が本作の鑑賞体験に大きな影響を与えるつくりである以上、どこまで昔を覚えているかが感動の量に直結するだろう。情報が足りない状態での一回目の視聴が、他のどのシリーズ作品より大事だなあと感じたのでした、まる。

 

ポストクレジットは、『ヴェノム:カーネイジ』の高まりに冷水をぶっかけられる内容だったけど、思い返せばピーターを知らないトム・ハーディが送り返された理由とか、『モービウス』の予告編ではスパイダーマン3シリーズ及びヴェノムとの繋がりが仄めかされているがマルチバース閉じちゃったらあの世界どういう位置づけなの?とか、MCU版シンビオート以外で今後期待できる要素も色々あったなと。MJの店で奥の方に座ってた存在感のあるお爺さんは誰だったんだろう。

 

いやー、『ストレンジMoM』の予告編は日本の公開が遅れただけで、最速上映だったらサプライズだったんじゃないかなあ…。とはいえ、ドラマ『ホークアイ』視聴後だったから、デアデビルことマット・マードックの登場にただのファンサービスだけでない世界の広がりを感じられたところはある。あるよね? キングピン共々これっきりってことはないよね?